傷は身体が覚えていて、暴走して、傷つける

後ろめたく、暗く、生産性の何一つない感情。しかも、近い関係性の人に覚える特殊な感情。しかし、それは勝手に湧いてくる。

問題の起きた関西の人間関係は、できる限りうまく縁を切りたい。自身の憎悪をひた隠し、全部自分が悪かったでいいから、下手に出て、うまく縁を切りたい。少しでもああだこうだ言われたら、あの地獄の体験を得て、制御不能な憎悪がフラッシュバックするから。

私は、人に怒るのが苦手である。人からああだこうだ言われやすい。いわゆるなめられやすい所がある。こちらに落ち度があるにしろ必要以上に集団でぶっ叩かれた経験は人生において、間違いなく一番苦しかった地獄ともいえる。関西において、舐められたら負け、キレたもの勝ちというのは、集団で責められないための処世術に見える。

私は、愛を重点を置いて、生きている。愛の裏側は憎悪だ。だいたいの事や人を許していても、今回の関西の件は、思い出さない日がないほどの、暗く、屈辱と、挫折と、そして溢れ出る憎悪が私を侵食する。まだまだ私は、屈辱を与えてきた人を許していない。自分でも、だいぶしつこい性格していると思う。

あの地獄をえて、個人的に成長もしたし、より良いコミュニティに移動する契機になったのは、必要な体験であったともいえる。生きている人間を大切にせず、死んだら美化している性根が腐ってて嫌いだし。集団で群れてないと、なにもできない彼らが嫌いである。自己のプライドを維持するために、他者を下げるのも嫌いである。

とにかく、離れて良かったし、もっと早急に離れるべきだった。そして、今のコミュニティにおいては、同じ轍を絶対に踏まないように振る舞わなければならない。他者にできる限り多くを渡すのは、良い人が生存戦略において生き残る術でもある。

鎮魂歌は、悲しみに溢れ、涙が止まらない。失くしたものの大きさと、引き換えに得た強さ。これ以上ない地獄は、私を強くしてくれた。ただただ、私は、自身の愛の器を広げていくだけである。

自身の成長という、論理的帰結としての地獄への感謝が、憎悪に芽を生やし、愛へと生まれ変わりますように。

2024年12月。決意と苦痛と。一年前はかなり余裕なかったなって、今思い返すと、悲しい記憶が身体を蝕んでたなって思う。今では遠い記憶にようやくなりつつある。

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