2024年~久しぶりの東京帰還の感触

久しぶりの東京じっくり滞在。なんとなく、日本全体が緩やかな景気の良さを感じた。久しぶりに歩いた三軒茶屋はとても賑わっていて、新しい小洒落た店が増えていた。さんざ不景気だ不景気だと産まれてからずっと聞かされているから、30年前のバブルはもっと凄いのだろうが、なるほど景気がいいとはこういう事か〜と思った。

世間的にはコロナ禍で刷りに、刷った通貨が仮想通貨&米株式に流れ込んで、新しい富裕層を形成していた。道行く人は幸せそうに、目新しい小綺麗なお店でショッピングを楽しんでいた。

働く人と働かないで済む人が2極化している世界で、移民を無秩序に入れない我が国は、欧米諸国が移民に国自体が乗っ取られそうになっているのを横目に、30年前から変わらないレトロな昔ながらの先進国として、この世の春を謳歌していた。

経済合理性を突き詰めるあまりに本国が格差や移民で混乱している白人、過剰競争で病んだ韓国人や中国人、金を持ち始めたアジア中東の人達が、ほどよく遊ぶにはぴったりの場所になっていた。馬鹿でかいビルや先進技術を詰め合わせたような派手なものはないが、レトロで、物価が安くて、飯は美味いし、安全。日本語の壁で、世界からズレにズレまくった末に、そこそこな幸せを享受する、ノスタルジックな幸せがそこにはあった。

ドバイや中国大都市のようにピカピカキラキラな建物で、バカスカブランドを消費するというより、渋谷でコスプレして、マリオカートに乗るみたいなアクティビティを楽しんだり、昭和から時が止まったような昔ながらの、ほっとする光景が多分心地よさを作り上げてるのではないかと思う。

少子高齢化にも関わらず、移民拒否してるのを代表例のように、何一つ変わる事を拒否して、とにかく安全安定現状維持をモットーにしている日本政府及び国民の努力が経済的非合理性が強いが故に、逆に住み心地が良くなり、日本が選ばれているという、奇妙な現象が生じているようにみえた。

移民を、ほとんど最低レベルにしか入れてないので、はっきりいってめんどくさいダイバーシティという名の、理解を超えた人達との共存などの努力も放棄していて、楽である。多少クルド人が住み着いた程度でガタガタと出ていけ〜と排外デモになっているのだから、日本人に多文化主義は難しいのだろう。最も、EU諸国も出来てなさそうだが。

当然少子高齢化で働ける人が減ってきているので、最低賃金で働く人もほとんどいなくなる。そのため、2024年12月現在。求人は腐る程ある。

安い。安全。飯美味い、というので、外国人観光客はめちゃくちゃ来る。ビットコインなどで成り上がった小金持ちと過保護な政府の弱者認定により生まれた、働かないでいい人達の増加も相まって、最低賃金がどんどん上がって、物価もどんどん上がって、経済合理性を著しく欠いたアベノミクスの果実を今食べているという状態になっているように見えた。アベノミクスの言う、上から下に流れるトリクルダウンは、今実現できている状態に思える。

経済的に不合理な事を進めていった末に出来上がった束の間のオアシスが今の日本なのかもしれない。幻のオアシスになるのか?もしくは、湧き続ける泉になるのかは、だいぶ不透明である。間違いなく、財政規律の大幅毀損と少子高齢化による労働力供給量の減少が、否が応でも、新秩序に移行せざる得なくなる。

経済合理性を全く欠いた国家施策が、逆に、激動の世界情勢の中で、束の間?の住み心地の良い国になっているように私の目には見えた。

それにしても東京は、決して交わらない小宇宙が、無数に蠢いている。その日暮らしの人から、自営業の人、サラリーマン。決して交わらない世界。人間は周囲の人の平均5人で決まるという。私も自分があるように思われがちだけど、周囲5人の平均値になっている感じがする。

東京は、小宇宙。物凄く、快適に、分断されている。同じような人同士で群れ、目に見える分かりやすいモノを追い求めている。お金、知名度、ルッキズム。わたしのしんわを生きるというよりも、作られたコマーシャルな幸せを追い求めている。

マルチ商法で成功している友達が幸せそうだったり、自由を謳歌している友達が苦しそうだったり。みんなから憧れられるようなキラキラしていると思われてる人が病んでたり。何が幸せか分からなくなる。目に見えるモノは幸せを約束してくれない。でも、コンプレックスは解消されるかもしれない。衣食住困ると厳しいかなというのはある。もちろん個人によって幸せは違う。

さて、わたしの幸せはなんだろう?

2024年12月頃の記事。廃材エコヴィレッジゆるゆるに滞在始めた頃に書いた文章。反資本主義に染まっているな。頭でっかちになると壊れたスピーカーのように同じ事言うね。

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