主のいない天上界で、猫と共に、留守を守っている。どす黒い、心の奥底に通底する苦しみと只々向き合い、対話をする。ユートピアを創造したい主の家屋で、降りしきる雪を眺め、1人思案に耽る。今、1番落ち着ける場所がここだから。
何処か虚空、一点をみつめる猫は、苦しみと遠い存在に思える。気に入る縄張りの中で、多くを求めず、便利な召使いに自身の世話をしてもらい。気まぐれで、寂しさを埋める。猫は距離感を大事にして、足るを知る生き物のようで、人間よりよっぽど賢いようにも思える。
何がそんなに苦しいのだ?自身にただただ問いかける。功名たる作品を未だ世に残せてない事か?はたまた、人肌が恋しいのか?
とある友が言った言葉がある。
「あなたは王なんだから、その自覚を持ったほうがいい」
今、その言葉ほど、私自身を説明できる言葉はないと思う。自分でも、狂っているのではないかと思うが、自身が王である、というのが須く私自身を説明するのに便利な言葉はないと思う。
王たる私の苦しみは、民草が道に迷い、世が暗く、苦しみに満ちあふれているから。自己の苦しみを説明するのに、一番納得のいく言葉である気がする。他者から観たら、仏のつもりか?現実がツラくて錯乱しているのか?誇大妄想か?と思われるだろう。
しかし、俗物的な小欲の満たされない欲求を除けば、通底にある私の苦しみは、世が道筋を失っていて、西洋物質主義の力の論理がグロテスクに世を荒廃させ、民草が悲鳴をあげているからだと思われる。もしくは、自己の至らなさを、社会の苦しみに投影している。
世の人というのは、アーティストに憧れがあるらしい。インスタグラムに流れてくる大勢のお客さんの前で、演奏している姿に、そうなりたいと強く思うらしい。
馬鹿な。本物のアーティストは膨張する自己と他者の期待に合わせて、新境地を、壮絶な苦しみと不安の中で、血みどろの労力をかけ、作品を残していく、死ぬまで続く無限地獄であるのに。新境地を出せなくなった時点で、もはや観客の為に小銭稼ぎをするピエロでしかないのに。上っ面しかほとんどの人は見えてないのだ。
世の風潮は、賢いモノが全てを支配する、メリトクラシーに移行している。才能が示せないオスはツガイを獲れず。メスは、才能あるオスに群がり、足蹴にされる。猿の群れの評価基準が、肉体的強さから、賢さに変わっただけで、むしろよりグロテスクに社会が移行しつつある。情報が即座に、視覚的に、共有される事で、目に見える幸せそうな人を見て、足りない、足りないと民草は思うのである。
都市はなんでもあるように思える。金で、幸せは買えるように思える。実際は、金は不幸を救済する手段であって、幸せは約束しない。例えば、愛し合う2人が、貧困故に、女が身体を売り、男が自己の能力の不足に煩悶するような事は回避される。
もう一つ、金が解決するものがある。煩わしい人間関係である。呆けた親の世話も、金さえあれば、他人が代行して、苦しみを引き受けてくれる。子どもの世話も、昔は、近所の人が大雑把にみていたものが、託児所に丸投げできるようになる。人間関係に労力を払い、成立していたものが、なんでも仕事として、ビジネスに変換されていく。
貧困から抜け出して立身出世を勝ち取った秀吉の選んだ苗字は豊臣である。自己の貧しい出自から、臣が豊かに暮らせるように祈りつけられたものだと思う。一方で、それを打ち破った家康の選んだ苗字は徳川である。ケダモノが如く戦国時代から、徳が川のように流れる世を望んだのだろう。
世は常に移る変わる。最近、超大国アメリカでは王が誕生した。自分のように、誇大妄想の話ではなく、現実に力があるものが王を名乗っている。アメリカの王は、まるで戦国時代の王のようだ。他国に領土割譲を迫り、対抗者の権力を削ぎ、愛すべき自身の信奉者の腹を満たし、王としての権威を示そうとしている。ナチスのファシズムにも似ているが、幸か不幸か、そこまでの思想性はなく、単なる世界で一番の国の王を目指しているみたいだ。Make America Great Againという標語を抱くように、メリトクラシーの敗残者を豊かにしようと躍起である。
モノが増えて、豊かで便利になれば幸せになると安直に人々は思う。しかし、我々の世代は、すでに豊かで便利な社会が先人の努力でなしえていた。私は、いわば没落貴族の出自で、祖父が共に会社経営で財を成していて、両親が散財をしたというパターンである。従って、私は富には執着がほとんどなく、仲の悪い両親をみて育ち、愛を只々欲するものであった。
しかしながら、愛とは何ぞや?自身の事もままならないのに、必死になって、他者を救済しようといる自分は、只々頭がオカシイのではないか?可哀想な人を見つけ、助けようとするのは、ありがた迷惑であり。可哀想だと思った対象というのは、実は人を助けたいという己の願望の投影ではないのか?脳は他人を助ける事に、喜びを得るようにできている。
孔子の時代も、富や権力を得ようと走狗する者が多かったという。100年前も今も、あまり人の本質に変わりはない。なるほど、旧石器時代から人という生物は進化を止めている。ただ、物質が豊かになっただけで、結局人は、死ぬ。もののあわれ。祇園精舎の鐘の音。奢れるものは久しからず。
ただ私は、未来の種を撒いていき。気長に収穫を待とうか。主のいない天上界で、猫と共に雪が、溶けるのを待つ日も、たまには良いではないか。