矛盾する自己戦略

人間は、自己を基本的に肯定する生き物である。そして、人からの承認を得たいと無意識化の中で思い行動をする。人は周囲が自己を肯定してくれる行動を好んで取るようになる。自分の場合ではアート全般が得意で、評価される事が多いので、それを好んで取り組んでいる。周囲の肯定的反応への志向が、本人の好みを形成していると言える。

自分というものは、あるようで実はあまりないのではないかと最近思う事がある。人間は周囲5人の平均値で決まると言われている。分かりやすいところでは、感情が挙げられる。不満ばかり口に出す人のまわりには、不満ばかり口を出す人になる。楽しそうな人に囲まれたら、楽しそうな人になる。よって、自己がなりたい自分の生活をしている人の仲間に入るのが、一番早い自己実現の方法である。人は周囲の人間に、とても染まりやすいからである。

人がその仲間に入るには、選ばれないといけない。自分がその仲間に入るのを近づくのと同時に、選ばれる要素がないといけない。往々にして良い人が一番選ばれやすい。良い人というのは、利他的な人である。つまり、物資及び行動によって、そのコミュニティに貢献している人である。多くを渡す人の周りには多くを渡す人が集まる。よって、短期的には損をする他者に物資を渡したり、行動による負担を被るものは長期的に見たら、周囲に利他的な人間が集まるが故に最終的に一番得をする。そして、それは美しい美辞麗句とともになければならない。

また、人は人の世話をするのに喜びを得る生き物であるから、お世話になったことを喜んで感謝し、お世話してくれた人の承認欲求を満たす事でも、構成員として認められる。これは、年少者の戦略といえる。

さて、ここまで上手く人間社会を小賢しく生き抜く損得勘定の話をしていたが、何処か物足りない感じを覚える人も多いだろう。芸術とは、打算的損得勘定を超えた所の産物であるからだ。昔自分は必死こいてシャブ中の親友を助けようと意味わかんない熱量で行動をしていた時があった。打算的損得勘定だけで言えば、即縁切りが正しいのであるが、損得勘定を超えたものがあったからこそ、絶対的な友情が産まれたともいえる。後に、その成功体験が仇となったのだけど。

打算的損得勘定で動く人間には打算的損得勘定で動く人しか周りに存在しなくなる。しかし、人間はその肉体から逃れられない以上、愛情の濃淡は必ず存在する。愛の器は限りがある。さて、我々はどう生きるべきなのだろうか?

2024年付近の作品。私自身面白メリトクラシーの極みであり。面白さの打算で生きている。恒常の愛が欲しいが、面白さにのみ食いついて打算的に生きている自分。

Donation Banner